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当院のお菓子について

修道院のお菓子に、皆様はどんなイメージをお持ちでしょうか?「そう言われても、あんまり知らないけど」とおっしゃる御方が多いかもしれません。キリスト教が少数派の日本では、修道院の存在そのものが珍しいですし、その産物も、市井でお見掛けする機会はそれほど多くないかもしれません。(CMも普通ありませんし。)ただ、最近はネットで情報が普及したこともあり、口コミや、修道院の製品に関心を寄せるお店、雑誌や書籍の紹介などを通して、じわじわとコアなファンが増え続けているのも事実です。

当院のお菓子について、よくお耳にする感想は、というと-「素朴」「何かほっこりする」「懐かしい感じ」「優しいお味」「安心できる」そして、「フツー」「ちょっと地味かも…」(←はい、フツーで地味です!)などなど。不思議なのは、どれもそのまま修道院の暮らしのスケッチ、とも言えそうなこと。全体的に古風な佇まいで、外も中も飾り気がなく、いたってシンプル。平凡で無害な「ま、だいじょうぶでしょ」の印象。ふと、思い出したのが、ご近所の農家さんのお話-かつて地域の各家で牛を飼育していましたが、牛は当家のご主人に似て来るそうです。いばりん坊なら、その牛も肩をそびやかして歩き、無口で遠慮深ければ、その牛も何気に腰が低い。家風がその手の業に映る-と、したら、わたしたちのお菓子にはその家風が、もっと言えば価値観が透けて見えるのでしょうか?…これは、大変!

「修道院のお菓子は、キリスト教の入門の入門です。」一人のご婦人が、こう、お手紙でおっしゃいました。手渡すたった一粒のお菓子に、それを召し上がる方は、お味に込められたものを感じることがお出来になる、本当にお判りになる、と。ギクリといたしました。製品紹介の際、「祈りを込めました」などと、耳良いキャッチフレーズをつい、サラッと書いてしまいますが、これはちょっと安直かな?と、少々恥じ入りながら。本当に、大事は小事。若干大風呂敷とは存じつつ-目立たなくはあっても、私たちの手の業には「キリストの」、神の家の家風を求められて然るべき、ですね。修道院のお菓子が運ばれていった先でお逢いする目に見えない方々とのご縁を改めて実感させられて、身の引き締まる思いでした。

当院では創立以来、いろいろなお菓子が形となりました。「産めよ、増えよ、地に満ちよ」の聖句どおり、子沢山。「何種類くらいあるのですか?」と質問されては、「いえ、実はきっちり数えたことがないのです」と、逃げ腰でうろたえるのが常です。よく数が動きますので。(ご興味がお有りでしたら、HPの価格表兼注文書で確認してみてください。)それぞれに個性があり、物語もあります。ブログのこのカテゴリーでは、人里離れた地で暮らすわたしたちと皆様との一番の接点となっている、当院のお菓子に関する情報やエピソード等をご紹介して参ります。これもまた、皆様との御縁を深める一助となりますよう、願いつつ。

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