しゅ の奉仕の学び舎(戒律緒言45)

聖ベネディクトの戒律に基づく生活によって
キリストの福音を具体的に、徹底して生きる

トラピストとは?

「聖ベネディクト」

「聖ベネディクト」

「トラピスト」の正式名称は「厳律シトー修道会」です。ローマ・カトリック教会に帰属する、全面的に観想に向けられた隠世共住修道生活の会であり、男子と女子の修道院があります。神の御前で絶えず教会と全人類のために祈る、隠れた奉仕の使命を受けています。

キリストの従順と謙遜の模範を基軸とする聖ベネディクトの戒律に従って世の生き方を捨て、神に自らを奉献し、真実にキリスト者となることを目指します。修道者たちは全生涯を敢えて限られた生活条件の下に置き、共同生活、隠棲と沈黙、祈りと労働、聖なる読書、絶え間ない回心、規則遵守など、日々の様々な修行の実践を通して神への、また相互に対する愛と奉仕をキリストに学びます。こうして古い偽りの自己を放棄し、洗礼によって新たに受けた「神の子」の命を十全に開花させるよう、成聖の恵みに協力しつつ、神との一致に向けて歩みを重ねます。

トラピスト安心院の聖母修道院:イメージ
トラピスト安心院の聖母修道院:イメージ
トラピスト安心院の聖母修道院:イメージ
トラピスト安心院の聖母修道院:イメージ

歴史

キリスト教には当初から、信仰によって自らを神に奉献し、全身全霊でイエス・キリストに従う多くの男女が存在しました。ローマ帝国における迫害の終焉と国教化に伴い、キリスト教は民間に流布し、次第に俗化しましたが、その在り方に飽き足りず、殉教者を理想としてキリストとその福音に徹して生きるため、世俗を離れて荒れ野や砂漠に向かう人々の群れがありました。彼らは隠遁者でしたが、独りきりで理想を追求する限界を経験から悟り、高徳な人物に指導を求めて、そのもとに弟子として集うようになりました。師‐弟子の関係を基礎とするこの生活はモナスチコ生活と呼ばれ、ローマ帝国と教会の東西分裂後も、各地で興隆しました。

イタリアのヌルシア出身の聖ベネディクト(480-547)も、その伝統を汲む師父(アバス)の一人であり、自らの共同体のために、生活の規範となる修道戒律を編みました。その教えが後代にもたらした多大な影響ゆえに、ヨーロッパ[修道制]の父と呼ばれます。戒律の精神は、その根底にある柔軟性と刷新の力によって、時代の変遷の中でも常に新たな表現を見出しながら発展し、1500年を経た今も、多様な形態のもとに生き続けています。

本会はその流れの中で、2つの大きな改革を通して現れました。1098年、聖ロベルトら20名余のベネディクト会修道士が、単純質素な生活によって戒律を真実に実践する霊感に鼓舞されて、繁栄の極みにあった自己の会を去り、フランスのブルゴーニュ地方の未墾地を拓いてシトー修道院を建て、シトー修道会を創立しました。この草創期に女子修道院も設立されました。クレルボーの聖ベルナルド(1090-1153)の目覚ましい影響のもとにシトー会は急速に増え広がり、中世を通じて西欧世界とカトリック教会の中で存在を確立してゆきました。

宗教改革後の動乱の時代に、弛緩した規律によって弱体化した修道制を立て直すため、より厳格で禁欲主義的な規則遵守に活路を見出したグループ、厳律派が会内に興りました。1662年にフランスのラ・トラップ修道院の大院長となったド・ランセの改革が、この運動の発端・中心となり、さらに、フランス革命後の修道院再建の際、その流れを汲む3修族が1892年に合併して「ラ・トラップの聖母改革修道会」を形成し、現在の本会の前身となりました。このため、本会は「トラピスト」(トラップの者)と呼ばれます。

近年、諸修道会に現代世界への適応や、創立の精神への回帰を求める教会の動きを受けて、本会では、自らの伝統を守ると同時に、変化する時流や諸文化に対応し得る表現を模索しながら、世界各地に散在する諸修道院において、男女の修道者※が、戒律を師として福音を生きる、幾世紀にも及ぶ企てに応え続けています。

※160修道院、3,000人余りの会員(2019年現在)

モナクス

ラテン語で「修道士」を意味する「モナクス」monachus(「修道女」monialis)は、ギリシア語のmonakos「ただ一つのもの」に由来します。世を離れ、神の御前に単身で差し向かう者、純一な心で唯一の神に仕える者、唯一の真理である神の道を歩む者、などの意味を含みます。日本語の教会法用語は「隠世修道者」です。俗世間から隠れて生きる、その特徴からの意訳と思われます。本会の修道者にもこの語が適用されますが、生活については共同で営まれるので「隠世共住修道院生活」と表現されます。当院では語源の豊かなニュアンスへの尊敬から「モナスチコ生活」と呼んでいます。この生き方は、対外的な使徒職の使命を持つ修道生活とは区別されます。(例えば、教育・福祉といった、一般社会との関わりの中で果たす目的のために創設された活動修道会など。)

師父(アバス)

アラム語のabbā「父」が、ギリシャ語やラテン語でabbasとなり、3~4世紀の砂漠の長老の尊称として、さらに修道院長にも適用されるようになりました。ベネディクトの戒律では、修道院長は弟子である修道士を師また父として導く者とされます。単なる役職上の上長と部下ではなく、父と子という神の愛の関係や、唯一の師キリストに倣う弟子、という人格的な交わりが、この言葉の背景にあります。

日本のトラピスト

当院のあゆみ

1981年「宮古の聖母修道院」創立:イメージ

1981年「宮古の聖母修道院」創立

カトリック那覇教区に観想修道会を望む当時の故石神忠真郎司教の招へいを受け、宮古島の狩俣にあった教区所有の土地に、西宮の聖母修道院が新修道院を創設。創立院長(地元沖縄出身)と12名の修道女が同院から派遣されて当地で修道生活を開始し、1988年に大修道院となりました。亜熱帯地方特有の気候や建物、特産の高品質の黒糖を使用した製菓業、美しいサンゴ礁の海や南国の果樹の産物、頻繁に襲来する台風など、日本本土とは異なる風土の中で、創立者たちは相互に協力・切磋琢磨しながら、20年にわたって一共同体としての礎と絆を築きました。

2001年 移転し「安心院の聖母修道院」に:イメージ

2001年 移転し「安心院の聖母修道院」に

特に召命の問題で、離島という地理的条件の限界を鑑み、本会内外の協力を得て大分県宇佐市の安心院へ移転。当時の共同体は13名でした。修道院本館の建設は2003年5月に完成。2006年からはベトナム人志願者の受け入れを開始し、異文化間の交わりの豊かさの中で、主における一つの体、小さな教会としての共同体の意義を深めています。

現在の共同体

現在の共同体:イメージ
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