主日(日)
- 3:45
- 起床
- 4:00
- 夜課・黙想
朝食
聖なる読書
- 7:05
- 賛課、続いてミサ

- 読書
- 11:45
- 6時課
昼食
- 14:00
- 9時課
- 休息

- 17:00
- 晩課・黙想・降福祭

- 夕食
- 19:30
- 終課
真実に神を求める(戒律58:7)
いつ、どこで、だれと、何をしても、
ただ一つの必要に向かう。
この心の深みの熱望が
修道者の生活全体を形造っています。
毎日のミサの中で、キリスト者の生活と交わりの頂点・源泉である主の過越の神秘に共に与ることによって、修道者はキリストに結ばれて神と一致し、キリストの体において相互に、また全教会とより緊密に一致しながら、感謝のうちに自己を奉献する力を新たにします。
日に七度、共同体は時課の典礼(聖務)において神を賛美し、時間の聖化に与り、全世界の救いのために執り成します。神の招きに応え、生ける御言葉に心と口を一致させる、この絶え間ない祈りの表現はOpus Dei(神の業)と呼ばれ、全ての活動に優先されます。
日ごとに一定の時間を専ら、信仰と祈りをもって行う神の御言葉への傾聴に捧げます。奉読されることばを通して一人ひとりに語られる神と出会い、そのメッセージに誠実に向き合うことで、心と心で神と親密に結ばれる絆、観想の恵みがもたらされ、育まれてゆきます。
与えられた慎ましい仕事を通して、修道者は共同体生活を維持するために奉仕しつつ、貧しさを祝福され、自らそれを生き抜かれたキリストに倣います。また世のすべての働き手と連帯して、人の手の業を祈りのうちに捧げながら、神の創造と贖いの業に参与します。
修道院においてキリストの代理とされた長上と、その配慮を受ける一人ひとりの修道者は、師‐弟子の絆のダイナミズムによって共に神の望みを探しつつ、これを中心に修友と兄弟的関係に入り、生ける関わりそのものである神、父・子・聖霊の三位一体の命に与ります。
修道者たちはキリストにおいて一つの体、即ち教会を形造ります。戒律と修道院長また相互への従属、あらゆる賜物の共有、自他の弱さへの忍耐、謙遜な奉仕、配慮と協力、対話や和解への誠実な努力、秩序ある規律の生活により、共同体で関係を築きます。
神の現存の前に留まり、雑多な言葉と思いを慎むことで、聴く余裕、心の自由が守られます。聖母のように、神の働きかけに謙虚に、注意深く開かれた祈りの姿勢を保ち、語り、あるいは黙すべき「とき」を識別することで、神との、また相互の真実な交わりが育まれます。
天を本国とし、万事に超えてキリストを愛する選択の自由によって世の生き方から離れます。何ものにも囚われずに神に向かう心の飛翔を保つため、修道者は禁域と呼ばれる特定の生活範囲内で暮らし、人や情報との接触、物の使用にも、適切な制限を設けます。
戒律による古来の伝統に従い、修道院の来訪者のうちに旅するキリストの御顔を認め、神の導きによる出会いを祝福しつつお迎えいたします。ご希望の方には、モナスチコ生活の範囲内で、必要なご奉仕を提供しております。(お部屋については写真をご参照ください)
必要十分を旨として過剰を避けながら、関わりをもつ一切を神からのものとして大切に、相応しく取扱う-シトー会では典礼や衣食住など、生活の隅々までこの単純さが具体的に反映されています。我欲を捨て、唯一の神のみ旨を求める生き方の現れでもあります。
この生活の基盤、かつ到達点であり、神の前にある自己の真実を正直に、そして平和に受け入れる姿勢です。神の導きによって育まれるこの健全な自己認識を通して、罪が破壊した自分自身との関わり、人と人、神と人との関係が、本来の在り方に回復されます。
本会の共同体と修道者は全て、聖母マリアの保護に特別に委ねられています。一日の最後を古来の聖母賛歌「サルベ・レジナ」で閉じながら、イエス・キリストとの親密な一致、その贖いと救いが成就された聖母に、世の旅路にある巡礼者として同じ恵みを求めます。